治癒は「治りたい」からはじまる。

今日読んだしいたけさんのブログ。しいたけさん!いいこと言うね~。と。朝から妙に説得力のある記事を読んで珈琲飲んで落ち着く。

昨日は用事あって実家へ行く。
父の顔色がすこぶる良くて、食事もとれるようになってきて少し安心。
西洋医学も精一杯したけれど、身体の治癒力をあげるための療法も精一杯、頑張っているよ。お医者様に治してもらう、と言っていた父が、細かい検査を拒否して、無駄な検査はしなくていい。身体が元気ならそれでいい、って昨日、父の口から出た時は、びっくりしました。
変わったのだなあ・・・。と。
ご心配いただいている方、これからもそっと見守ってくださると嬉しいです。

最近、突っ走ってきたお店の立ち上げも少し落ち着いて今年は自分の学びへの投資をしていて、少しずつ勉強に色がついてきました。自分の勉強がいかに大事か、ということを痛感するのは、私がお客様に対してアセスメントを通したアドバイスが必要とされているなと感じたときです。
先日のイベントでも、買い物に来られるお客様とは別に、相談に乗ってほしいと言われるお客様がいらっしゃいました。じっくりお話しを聞いて、より良い選択をアドバイスできれば、後はお客様が取捨選択をして治癒への一歩を踏み出してくれればと思うんです。

ここ最近、いろいろな学びが増えていく中で、それぞれのサービス、商品、情報、本当にいいものも多いんだけど、一番大切なことが見えていないかも、と思うことがあります。それはどんな時も「自分が治ろうとする気持ち」があること、なんですね。
ハーブもアロマも、もちろん薬もサプリメントも、サービスも施術も療法も本当にいいものはたくさんあるんですよね。
それをひとつひとつきちんと学んでお客様にアドバイスするとします。

でも、根本的にぬけてはいけないものがあります。
それは本人が「本当に治りたいですか?」ということなんですね。
このハーブを活用してどんな自分になりたいですか?いうなれば、自分を好きになるにはどのように変わりたいですか?という問いです。

私が接客していて思うのは、実は高齢者は特に、そこが見えていない人がとても多いです。
今、病気である、あるいは諸症状を持っていることに「安心」していたり「変わりたくない何か」を持っていることが多いです。

その場所にいることに、何か意味があるということです。

高齢者というよりも「人のために生きてきた時代の人」「人のためにしていることで満足してきた人」もそういう傾向があるように感じます。つまり自分の時間や人生に魂をつぎ込んできていない人なんですよね。それって、病気になったとき、「治す」までに時間が相当かかります。もしかしたらそこにたどり着けない人もいるんじゃないかな、と思います。

なぜ、そこが大切なのか、、、実は治す=自分を見つめなおす、ことだったりするんですよね。

病気のきっかけはほとんどが自分が作り出したものでもあります。(それ以外ももちろんあります)
その自分が作り出したものは、自分でないと癒せないんです。癒しがないと治癒がはじまりません。自分を労わることをしない限りは、病気は治せません。自分を労わるって、やさしくすることなのかというとそうでもありません。
また、治癒は他人からもらうものでもありません。空からもふってきません。

結局、たいていの人は、そこは何なのか、という壁にぶつかります。
そして考えて考えて内観して「見つけられる人」は治癒がはじまります。治してもらうのではなく、「治る」が始まります。

身体は治っていくことができるのですよね。

今私の周りにはいわゆる「気づき」のお仕事をしている人たくさんいます。エッセンスをツールにしていたり、セラピストの声掛けだったり、いろいろあります。
気づきは本当に大切なんです。

躊躇することなく、どんどん利用していってほしいです。
人と話すことはいろいろなことが見つけられるきっかけになります。
最後は人。やっぱり人ですよね。


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