病気になる意味-父のこと18

父の残存していた癌は少しずつ大きくなっているのか、痛みがだんだん強くなり、ついに麻薬「オキノーム散」を処方されることに。
食べることが大好きでそして食事療法に気をくばり、出来るだけ薬を飲まないようにしていた父にとって、ツライだろうなと想像します。
でも食べるためには仕方がない。痛み止めをなくして食べることが難しいのだから。

父はこれまでもそうですが、一緒にいても私の前で「痛い」と言わない。一緒に病院につきそうと先生にその後どうですか?と聞かれて「痛みがある」と答える。今日一日ずっといて、初めてその時父から「痛い」という言葉をきく。何より娘に心配かけないように、常に気を使っている。
そんな父の背中をみていると、変わってあげたいと、そうでなくても痛みを半分でも分かち合いたいと思ってしまう。
血のつながりとはそういうものなのでしょうか。

父の癌はなぜ「喉」なのかなと考えたことがあります。
それは最近、私が腕と肩と首を痛めたときに、その心の闇について調べていたらいろいろなことがわかったから。
病気になるには必ず「意味」があると確信していて、なぜ「喉」なのか、考えてみたのです。
この間、治療をしていただいているクリニックで「心臓」と「小腸」にはなぜ癌がないかということを聞いた。心臓と小腸は身体の中で常に動いていて、ポンプのような働きをしていなければならないから病気になっていられないということなんだそうです。(ひらたくいうと)
それで、動いていなければならない臓器が癌にならないのなら、喉は動いていなかったのだろうか、という問いに、そうではなくて、本来当たり前の働き、動き、流れに対して、何かがおさえつけてしまって、本来の動きになっていなかったからそこに「癌」という病気が「のどが働いていませんよ」と教えてくれているのではないか、と想像したのです。これは私の見解です。

つまり本来の働き、動き、流れ、とは何なのかというと、言葉や音として出すべきときに「何かが」抑えてこんでしまい、その働きができていなかった、あるいは、吐き出すべきときに吐き出せていなかった、家族や仕事の人やまわりの人間関係の中で伝えるべきことが伝えられなかったのではないか、と考えました。
咽頭がんは、発見が遅れることが多く手術することが第一の治療になる。つまりほうっておくと「声を失う」ということに直面して初めて、声を出すことの大切さ、想いを伝えることの大切さや意味をしるのではないかなぁと思いました。
それはうまれる前に決めてきた課題や目的から、生き方が外れたときに病気になることとちょっと似ているなぁとも思ったわけです。
父は結局手術を選択しませんでしたが、原発の癌はそのまま残りまだ戦い続けています。ということは、まだ「病気になった意味」について、気づいていないのかもしれないなと思います。

どうやったって、あと20年も30年も生きるとは思いません。
そうなるといずれ寿命がきたときに、その意味に気づけるか気づけないまま逝くかで、何かが変わるような気がします。
出来れば、今を生きるためにも「なぜ病気になったのか」を考えてほしいと思います。
そして、出来たら今自分が思うことを色々な人に語ってほしいと思います。いいたいことがあったらどんどん言ってほしいと思います。
父は幼少の頃、とても辛い体験をした人です。
そしてその父が娘や息子たちに支えられているということを忘れないでほしいなと思います。



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