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昨日出会った一行の言葉
昨日帰りのバスの中でとなりに座った若い女の子が、一生懸命参考書みたいなのを読んでいて大事なところに線をひいていて、ちょっとだけ「どんなのを読んでるのかな」と線をひっぱったところ読んでみたら、「・・・アフォーダンスという」というところだけ読めた。心理学の本だったのかな。
なんだか難しい本を読んでいるんだな、未来の立派な仕事人になるのかなーと、そういえば何だかアフォーダンスってどこかできいたことあるな、大学の授業だったかなと。。。
その後家に帰ってから、何となく(そういう引っかかっている言葉はきっと何らかの意味があると思い込むわたし)調べてみた。
いわゆるアフォーダンスとは「環境や物が、それを知覚する人や動物に対して「何をすべきか」といった意味や行動の可能性を提供すること(AI)」→造語だそうで、モノや人や環境、同士から提供されるあるいは影響をうけて行動にむすびつけるもの、かな。

例えば目の前にドアがあれば、開けるという行動になるし決して蹴る人はいないと思うけど、開いていれば閉めるという行動になるし、何を提供しているか、人の解釈によって行動を促されるのでしょうね。広い意味ではそれはものに限らず人と人の場合もあるし、自然と人もあるし、あるいは地球と人もあるのかなと思いました。
地球は人に何を提供しているのかな、ちょっと考えています。
生命誌という冊子をもう二十年近くになるのかな、ずっと定期購読していてしっかり読むときもあれば面白いところだけ読むときもあるのだけど、地球や生命が誕生した意味とか、なぜ植物がそこにあるのか、なぜ昆虫がそこにいるのか、なぜ菌が存在するのか人との関係など、考えてみるとつながってくるのかなー、いやー何にも分かっていない私がちょっと面白いなと思ってしまいました。
話をかえて、いろいろ調べていくとゲシュタルト療法という言葉をみつけ、そこから「ゲシュタルトの祈り」というのを見つけました。
その祈りの言葉は自分自身で検索してみたらよいのですが、とっても共感しました。
私は私、あなたはあなた。そこに正しい正しくないは、ないのです。
解釈は人それぞれでいいんですが、今何かに悩んでいることがあれば
ちょっとだけ楽になるおまじないみたいですね。
昨日出会った一行の言葉から思うこと、書いてみました。