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外へ出て自然を見よう、植物を見よう
7/4の日曜夜、NHKのダーウィンが来た「植物すごいぜ!緑の超世界へ大冒険」生存戦略をもつ仰天植物を取り上げた番組、見ましたか?
私はこういう植物の子孫を残すための戦略、見るの好きなんですよね。
もうワクワクしながら見ました。
この間、購読しているBRHメールマガジン&生命誌の中でも、”こんな人間社会のコロナ禍でも、植物の営み、生命の営みは変わりなく行われている”と読んだとき、「あぁ、そうだな」と植物の偉大さを感じたとともに、ちょっと一歩ひいたところで今のコロナを冷静に考えることができた、ように感じます。
そう、植物は人間社会がウイルスでこんなに混乱していても関係ないの、だってこれまでだってウイルスはあったし、共存しているし、子孫を残すためだけの生存競争だから、、、、。
そう考えたとき、私たち人間は今、何かちょっと同じ方向を向きすぎている、向かされている?ような気がしたのは私だけでしょうか。右向け右~みたいな、、、ですね。
報道やメディアはなぜ同じような情報ばかりなのでしょう。御用学者様たちが何でこぞって同じような見解なのでしょうか。
先日お客様との雑談で、こういう風にメディアが同じような報道をすると、人ってそれが正しい情報だと思うし、みんなと同じ行動する。そして同じだと妙に安心する。違う行動をとるとたたかれるし、はみ出すと何だか不安。それって人間社会の独特の習性というか、、、良くない傾向ですよね、って。特に日本人は同調圧力がある。
実はこういう時って、怖いのは災害時の一瞬の「勘」が鈍ることだそうです。
災害って確かに体験者のマニュアルみたいなのが出来上がっていて、こういう時はこう、みたいなのが報道やメディアから伝えられて、私たちはつい無意識にその記憶にしたがってしまう。また皆が右に向かったから、皆が左に行ったから、と同じ行動をしてしまう危険があります。でも、本当はその時一瞬の「防犯意識」の「勘」のほうが大事なのでしょう。
東日本大震災で大川小学校の児童が危険を察知し「山へ」といっていたにもかかわらず、結局「先生のいうとおり」にしたことで多くの子どもたちが犠牲になりました。
また昔、「九死に一生を得る」というTV番組で山道をドライブ中、山の上から岩が落ちてくる危機に遭遇したとき、親子4人が車から降りて、山の斜面に対して縦に一列(父を先頭にして)に岩に向かって落ちてくる岩をひとつずつ避けて災難を逃れた、という、その時の一瞬の判断で家族の命を守ることができたという話を思い出しました。
一言で災害とは、なんて語ることはできませんが、なんだろう、災害はいつどんな風にどんなことが起きるか分からないから、その咄嗟の生命を守るための「勘」はメディアや報道からは得られないだろうなって思うんです。
で、植物の話に戻るけど、植物を見ているとその生き様や生き方から人が学べることがあるなぁ、と。動けない植物には子孫を残すという、たった一つの目的があって、行動がいたって単純でシンプル。でも戦略的、よーく考えられている。本音も建て前も(忖度も?笑)ないんですよね、だからその戦略をみているだけでも、「なるほど!」って感動する。その戦略は季節や天候や、動物や昆虫、他の植物や菌たちとの中で共存しながらも、どう生き抜いていくか、という実に考えられた戦略。私たちにとって異種となる植物は、生き方そのものを学べる存在ではないかと。
うまくまとめられないんですが、生きるためにどうしたらいいか、というのは、やっぱり人や植物や自然との共存の中でしか得られないような気がします。自然や植物から学ぶことはたくさんあります。
たくさんの人と植物について話してみるのもいいと思います。そこから植物や昆虫、動物の生き方を知る。
そうすることで見えてくることが必ずあると思うんですよね。テレビ、インターネット、メディアから伝えられるものはどこまでがつくられたもので、どこまでが本当で信じられるか、そういう見抜く力も、きっと養えるような気がします。
是非、外へ出て自然を見よう、植物をみよう。
自分の目で見て経験して体験してこそ、ですね。