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想い出語る-父のこと
この間、実家に帰ったとき母といろいろ話していて、生前父が咽頭を切除するかしないかを母と話した時のことを私に教えてくれました。
父は咽頭がんでしたが、切除すれば完治するといわれていて医者からはそれしか生きるすべはないといわれていました。
その父が切除することを択ばずに、ガンとともに3年半生き続けて逝ってしまったのは、なぜなのか、父が母に語ったことでわかりました。
父は歌がとてもうまく、夜は出歩いて昔でいういわゆるスナックというところでよくカラオケをうたっていました。父が歌うと店内が急に静まり返ってお酒を飲む人々が一瞬手を止め、おしゃべりをやめ、時間がとまったようになり、皆父に注目し歌い終わると拍手喝采。そんな場面を何度もみてきました。
娘の私がいうのもなんですが本当にうまいなと思っていました。
父は歌をうたうことは趣味のひとつであり、仕事としているわけでもなく、別に歌えなくなっても有名人でもなく、執着することもなかったろうに、それでも声帯をなくすことができなかった。
それは歌うことが父の生きる力となってきたからなんだと母が教えてくれました。
父は幼少のころ、養子に出され両親と兄弟姉妹から離され、別の家の一人っ子となりました。小さい幼子が急に生まれた家を出され、父も母も別の人になる、こんな残酷なことが昔は当たり前のようにあったのに、父は受け入れることができずよく家出をし自分の生まれた家にもどろうとしたんだそうです。
けれど、大人たちが連れ戻し、「あなたの親はあの人でここがあなたの家」と教えられ、自分の人生を受け入れざるを得なかった。その時に自分を慰めたものが歌だったそうです。
幼少のころから歌をうたっては皆の注目を得て、何かさみしさを相殺していたのでしょうか。きっと。歌がうまくても家族のもとへは戻れない。けれど歌う自分がいることで自分自身がそこに存在していることを知らしめたのかもしれません。あれだけうまいのは、たくさん歌ったんだろうな。歌った分だけ寂しかった。そう思います。たくさん歌ってきたことで父は救われてきた。だからその歌をうたう自分をなくすことができなかった、のではないかと思います。
父がそんな話を母にしていたのかと、いまさら知って、手術をせずに自分の病気を受け入れて、残りの時間を使い切ったのかと思うと、胸が締め付けられるものがあります。
病気がわかったときは、父はまだ「治る」という希望をもっていたし、治す気持ちがあった。生き続ける希望をもっていたと確信します。
いつも思うのは、なぜガンの病気を持つ人は疲れ果てて、クタクタになるでしょう。本来病気になって休養して体も心もリセットして元気にならなきゃいけないのに、治療をたくさんして、治りたいという気持ちが希望が少しずつ失われていく。病気の人が疲れて体力を消耗して、最後はもう治療をしたくないというくらい「くたびれている」。父だけだったのかな。
でも私にはこう思えるのです。
今のガン医療ってそういうこと、ですよね。病院てそういうところですよね。って。治療ってなんだろうな。