生きがい

ホリスティック植物療法講座、第4回が終了しました。
これで今回の講座がすべて終了したわけなのですが、感想をいいますと何か不完全燃焼というか・・・。
モヤモヤがずっと残っています。

ハーブを人の体にどのように活用して役立てていくか、という大きな視点から、具体的にどのように人にあわせていくか、あるいは、その人にとって「あう」ものをどのように探してそして提供していくか、という目的には、なかなか答えは出せないものですね。

第4回の講座では、林先生(フラワーレメディ)、林先生(メディカルハーブ)、そして降矢先生(ホリスティック医学)という偉大な先生とのコラボディスカッション。
植物の物質的な面での効果と、それ以外の効果について話を聞きました。
物質面での効果はたぶん私たちがクライアントにすすめるためのファーストチョイスの基準になるものだから、そこに対してブレはないのですが、それ以外のクライアントが得るプラシーボ効果にあたる部分、あるいはmindやspiritに与える影響の部分については、やっぱり答えがあいまいになります。それは何かというところまでは突き詰めていけないのです。

でも確かに私たちは(すべての人ではありませんが)、植物の物質以外の何かに多少影響を受けて、心や魂に何かしら感じることができて、体調が改善したりあるいは病気が改善したり、そういった経験をしているのです。

これまではそういう「あやしい」領域に誰もが踏込みもせず、なんとなく、あいまいに流されてきた植物の波動の世界。
でも、これからはきっと科学も進化してその何かが何であるというところまでわかってくるのかもしれないですね。

でも本当にそれが何か、というのがわかる必要があるのでしょうか。

そういう疑問もふっと私には湧いてきて、もしかするとそれは何かということはわからなくてもよいのかもしれないですし、人間私たちのほうが、植物の不思議な力に対して、「そういうものだ」という理解をすればよいのかもしれません。
私たちは植物にふれるとき、たいてい気力や精神面で力を借りる時が多いでしょう。そうやって植物の力を借りる時に、それぞれの個性を研究し、解明されて、それを適用していくのです。
でも植物は人の体のために生きているわけではなく、植物は植物の世界での戦いに挑んでいきているわけで、植物のすべてをわかろうとするのはエゴなのかもしれません。

最後に参加者の方からひと言ずつ感想を、のとことである方がこんなことを言っていました。
「体に悪いものを食べている人でも元気な人はいるし、老体でも畑仕事をしたり生きがいを持っている人は常に元気で、逆に神経質にたべものにこだわっている人でも病気になる人はなる」と。。その時、3人の先生が全員頷いていたのが印象的でした。
その時私の中でちょっとした想像がうまれたのですが、もしかたら人が生きがいをもつことで元気になれるのならば、もし植物あるい花のエネルギーの何かで治癒力が得られるのだったら、それは植物の「生きがい」をいただいているのかもしれないなと。
フラワーエッセンスもメディカルハーブもそれぞれ個性があり特徴があり、それらすべては持っているものが違うようにみえてはいるけれども、実は大きくはすべて同じで、それは植物にとっての生きがいというエネルギーが人と共鳴したとき、ではないかと思います。
植物にとって生き残る=子孫を残すのは切磋琢磨して、そして本当に生きるために一生懸命で、子孫を残すための「生きがい」を持つことが宿命のようなもの。
もし人が自分自身で生きがいを見つけることができなかったり、魂の浄化ができなかったりしたときは、植物がもっている「生きがい」という力を借りることもでき得るということなのかもしれないなぁと思いました。

植物にとっての「生きがい」とは共通するところもあって、細かくみていくと少しずつ違いもあるかもしれません。多年草、一年草、種を残すもの、残さないもの、自分の居心地のいい場所、悪い場所、それぞれの生き方もそれも生きがいの中の条件かもしれません。そこが人とどこか似ていて「合う」ものだとしたら、きっと人は何かを得られるのでしょう。

でも本当は植物から得ることよりも人は人の環境の中で生きがいを見つけるのが一番なのですがね。(^_-)-☆


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