縫物をしてたらおりてきた

おりてきた、なんて言葉はあまり口に出していうことはないんだけど、縫物をしていたときに結び玉が教えてくれたメッセージの話です。

いろいろなことがありすぎて、頭がいっぱいになっているときに、たまたま出会った縫物。
なぜか今更縫物にハマってしまい、しかもチクチク手縫いで縫い物をしています。

針に糸を通すのさえ「目が、、みえない・・」という老化現象に、また頭を悩ましているものの、でも何か集中できるものは大切だということにも気づきはじめています。

チクチク縫い始めていくと、途中で糸がからまり、なぜこんなところに「結び玉」ができてしまうの?という経験ありませんか?
調子よくスイスイ縫ってもう少しで終わるというときに限って、何か引っかかっているなと思うと、結び目が・・・。

そんな時にふと思うのは、あ、何だか人生みたいだな、って。
人生もうまくとんとん拍子で、まぁ可もなく不可もなくというときに、思いもかけないことが起きたりしますよね。そして、こんな時に限って、と思うこともよくありませんか?

そして私はまた父の闘病と重ねてしまい、この結び目が癌だとして、ていねいにていねいにほどいていこうとするわけです。この結び目がとれたら父はきっとよくなるなんて思いながら。

だけど、一度強くひっぱってしまった糸は硬い結び目を作ってしまい、どんなに気持ちを落ち着かせてほどこうとしてもほどけない。焦れば焦るほどとれない。一度できてしまった結び目(癌)は、そう簡単にはとれないんだよ、と私たち家族を戒めているようにさえ思うのです。
そしてなかなかとれない糸の途中にできた結び目は、もう切ってしまうしかないのかと、身体にできた悪性の癌と重ねてそれを嫌うように、必死にどうしたらとれるか、、、と考えている姿がもう私は変ですよね。。。

そんな時に小さくなった結び玉がなぜかすーと布を通ったんですよね。
それまで一生懸命結び玉をとろうとろうとして、なくそうなくそうとしていたのに、小さくなったのか布が受け入れてくれたのか、糸を通したのですよ。

その時に私のなかで何かがおりてきて、「そうか」「そうだったんだ」と。

・・・・癌の特性を理解してなかったのは私のほうだった。
とろうとろうとしていたのは間違いだった。なくそうなくそうとしていたのは間違いだった。癌はメッセージ。意味あるものだから、なくしてはいけないのだと気が付きました。むしろ他人によってなくしてはいけないものだったんだと。
癌をなくすことができるのは「本人」の意識ひとつだけなんだと、知ることができたのですね。
もしかすると、癌を小さくするお手伝いはできるかもしれないけれど、そして身体を整えることは家族の役割かもしれないけど、癌という病気のメッセージを受け入れる身体をつくることと、癌を受け入れる本人の意識と、癌になった人が必要なのは、それなんだと気が付きました。

だから医学的(治療)は、もしかすると患者側の意識が受け入れていない状態では、また癌が再発したり転移したりするのではないか、ということもなんとなく前に書いた記事と重なる。

癌を受け入れてみよう、癌と友達になってみよう、癌も自分の細胞、自分の身体に警告してくれたもの、教えてくれたメッセージ、そんな言葉はよくきくけれど、やっとその意味がわかってきた。そういうことなのかもしれない。

結び玉を通せるくらいの心と身体を作っていく。
なかなか難しいけれども私たち家族も意識を変えて。



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