久しぶりに在宅での仕事の時間をとっています、といっても、すぐに出かけなければならない仕事もあって、ブログ記事を書いたら外出しようと思っています。
この間、ふっと考えたことがありました。
父の病気をとおして、どうして人は病気になり、そして治るのか、という問いに、治るとはどういうことなのか、をずっと考えていました。
そして私なりにひとつの答えがみえてきて、
治るとは
どうしてその病気になったのか、が自分自身で理解し「分かる」ことなのではないかと思いました。
どうしてその病気になったのか、自分なりに情報を探して、治療方法を探して、自分という心と身体をちゃんとみて考えて知って、そして「だからこの病気になったんだ」ということがわかったとき、人は初めて治るのではないか、と思いました。(私なりに)
癌の人をみていると、その「わかる」ということが何よりの治療への早道になっているようにみえます。
そして「その理由」は人によって本当に様々で「非常に(根)深い」です。
一つ言えることは、病気になって薬や医学に頼って、それは早く治るかもしれないけれど、そうやって早く治ってしまうと、人は「なぜそうなったのか」知る必要性がなくて、だから、また同じことを繰り返す、再発もそう。東洋医学治療が西洋医学治療に対して時間もかかるのは、治療の方法そのものよりも、治療の過程、つまり自分自身の生き方を一度振り返る時間をもつことを大切にしているからではないか、と思いました。
本当は「もうそうならないように」病気の原因を自分なりに考えつきつめて、わかっていく、治っていくことが大事なのではないかと思います。
だから治療とは本当は「そうなった自分」を「わかってあげる」ことなのではないかと思います。
一番の理解者は自分自身であってほしいのですね。
だから病気のことを知って治せるのは治療側ではなく自分自身なのです。
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