ホリスティック植物療法学

ホリスティック植物療法学」講座、第3回が終了しました。

久しぶりに都内に出かける日。いい気分転換です。人ごみはあまり好きではありませんが、田舎に住んでこうやってたびたび都会?に出ると、世の中にはこんなにたくさんの人がいるんだなぁと、思います。←本当に田舎人になったんだな。(笑)

昨日は、「ホリスティック植物療法学」講座でした。
第1回と第2回が終了した段階では、まだ私の中でつながっていなくて「うーん、うーん」という状態でした。ようは良くわかっていないってことかもしれないですね。(+_+)

それで第3回が終わったところで、なんとなくつながり始めた、「ホリスティックな植物療法」。
それぞれの回で重要な言葉が残ってはいたのですが、それをつなげるのは次回(来月)かな。といういい感じになってきました。

葉の園では色々な症状に悩まれていたり、ハーブをどのように取り入れたら分からないといったお客様がいらっしゃることが多いです。
そんな中で、ハーブ療法だけでなんとかしようというのは、そもそも思っていませんし、というかお客様自身も思っていないです。
ではハーブをどのようにお客様に伝えていくか、そういう観点でこの授業を考えたとき
そういう時に必要なのは、私自身の安定したアドバイスであり、しっかりとした方向性はもちろんですが、何より大切なのはお客様自身の癒し、なんだということを伝えていくべきなんだ、と改めて確認しました。そしてそこで活用できるのは、やっぱり植物なんだということです。

すごいなぁ、薬草療法という言葉があるけれど、それは治療法のひとつである前に、最も重要な「身体を治すための根源的もの」→治癒力を高めるエネルギーでもある、ということなんですね。(薬草療法もいろいろな意味で西洋医学的(対症療法)に使う場合もありますが、そうでない使い方もあるということです。)

そもそも「治る」ということはどういうものなのでしょう。

検査してデータが出て、様々な症状があり、病気が数値化されます。画像として理解させされます。その数値を元にもどすことが「治る」でしょうか。画像がきれいになったら「治る」でしょうか。
西洋医学的にはそうかもしれません。だから数字が出ないと病院からさじを投げられる事も多いでしょう。何も見えないと病院には行けないでしょう。
ところが自分自身ではとても元気。症状も気にしない、食事もできて痛みもない。さてこれを治ったと思えるでしょうか。

ここの「治る」という定義とか概念を自分でどうとらえるか、ということが「治る」につながるとても重要な要素なのかもしれません。

治ったということを自分で決められるくらい、自分の身体に敏感になり、気を使い、手をかける。
そういうことがあって、自然治癒力がついてくるのかもしれません。病気をみるのではなく「自分のこころとからだ」を見(つめ)るのですね。

「治るためには、自分自身の癒しが必要」昨日、先生からいただいた言葉。そうなんですね。
そしてハーブやアロマ、フラワーエッセンスはそういった意味で一番に活用できるもの、なんですね。
植物の中にある「波動」「エネルギー」そして「治っていいんだよ」という癒し。

私にはそう思えるときが多くあります。

なんとなく覇気がない、だるい、やる気がおきない、そういう時って「エネルギーが足りない」なんていいませんか?
だからってエネルギーなんて見えないし、はかることだってできない(厳密にいうと計ることはできますが)
でもそう感じるなら、それはエネルギーを確かに感じているってことなんですね。
そしてそのエネルギーを高めるにはどうしたらいいか、というと植物の波動のチカラを借りることもできるよ、といいたいのです。

それでね。

文字を目にしただけで、人から聞いただけではにわかに信じがたいでしょう。
私もそうでした。

でも、実行してみて。
野菜は採れたての新鮮野菜。無農薬であったり有機栽培であったり。毎日ハーブティー飲んでみて。時々散歩にいって植物たちを眺めてみて。時には、植物たちの生き方を想像してみて。そして自分の人生を考えてみて。

少しずつきっときっとエネルギーが高まってくるから。


↑入口のハーブプランターとっても元気になりました!


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