父のノート 父-26

父のノートを見た。
父の机の上に、今年入ってからずっと書いてきたノートがあります。
何か書いているのは知っていましたが、じっくり見る時間がなかったのと、私がみるものではないと思い込んでいました。

7月上旬「それじゃあ、また来るね~」と食卓にいる父に声をかけて、夫と二人で実家を離れました。その時の父は椅子に座って何か飲んだり食べたりしていました。
自宅に帰って夫と「お父さん、まだ大丈夫そうだね」なんていう会話をしていました。

母から「父がもう死にたいといっている、こられないか」とメールが入ったのは その次の週でした。その日たまたま定休日で休みだった私は、椅子に座っていた父の姿を思い浮かべるだけでなんの想像もすることもなく、考えもなしに実家へ車を走らせて、到着すると
そこにはほほがこけて、あまりの耐え難い痛みに身体も心も疲れ果て目の下にクマをつくってやせ細って寝たきりの父がいました。それはもう骨と皮だけという言葉そのもの、7月中旬でした。
あまりにの父の変わり果てた姿に涙が止まらなくなって、それでも泣き顔だけは見せてはいけないとこらえながら、「どうした?」と声をかけると、「もう死なせてくれ」というばかり。「そんなこと言わないで」というので精一杯でした。

後に別の内科医の先生のセカンドオピニオンを受ける予定でいた私は、どうしてそうなったのか、何か術はないのか、生きるって何だろうと考え何かヒントになるものがないだろうかと、8月初めて父のノートを見させてもらった。そこには、父のこれまでの朝起きてから夜寝るまでの食事と薬と痛みのことが書いてありました。

全く知らなかった父の「壮絶な痛み」。ノートにたくさん記されていました。5月まで一緒に病院に行っていたのに、「痛い」って言ってなかったと思う、なのに1月からずっと戦っていたんだ。そして食事が日に日に少なくなっていて、6月のころには、もう食事の内容が書いてありませんでした。何も食べてなかったんだろうな、それか食を摂ることにも気力がなかったんだろうな、そう想像するものでした。

あれから2か月たちました。父は今ベッドですがテレビみたりしています。
あれだけ嫌がっていた胃ろうを主治医のアドバイスをうけてとうとう始めました。「胃ろう=延命」という父に「そうではないよ」とずっと声をかけていますが、まだ答えは見つかっていません。
生きるとは何だろう。死とは何だろう。
ずっと模索したままです。

ただ確かに人は「栄養を維持」することで細胞は生き続けるのだとわかりました。それは延命とは違う、自分で決めた寿命まで新たな課題が与えられたのかもしれないし、希望もあるのかもしれません。

そして、あのノートにひとつだけ父の気持ちが記されていることを見つけました。その言葉は父の本心だと確信しています。本心ならきっとまだ父は生きる希望があると思っています。



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