父が亡くなって1年が経ちました。
先日、無事一周忌法要をすませ、家族全員が集まって近況報告を少しして、そしてコロナの影響もあって会食もせずに帰宅しました。
お坊さんが、故人はまだ極楽浄土へは行っておらず、まだもう少しかかるんですよね、って・・。そうなんだ、、まだ浄土へはいっていないのね。今どこにいるんだろうな、って考えながらお経をきく。
法要って形だよな、って、お経を聴きながら他のこと考えながら、意識どっか飛んじゃってて、銅鑼の音で目が覚めた・・苦笑。
夫が「今日、父の命日なんだー」って言ったら「そしたらたくさんお父さんのこと思ってあげるのがいいよ」って言ってくれました。
故人を想う=供養になるのだから、いろいろ考えました。
父が2014年の終わりころに「耳鼻科の名医を知らないか」って電話してきて、父の病気はそこから始まっていた。地元の病院何件か行って、一生懸命自分の症状を説明して、言っても忘れられちゃうから、紙に書いて先生に渡して・・それでも「医者や病院」は父の病気を診断すら、、治すこともできませんでした。
病気は自分で治す
すべてはここがベースになっているんだと、30代のときに自分自身が確信したことが、さらに親からもそう教えられる。
父は自分の死をもって子どもたちへ何かを残していきました。
わたしたち3人姉妹と兄、姪っ子と甥っ子、それぞれがいろいろ思うことがある。
父、いま、何してるのかな。
寒くなってきたら衣替えしなくちゃな。
去年の今頃はもう少し暑かった気がする。喪服が半そでだったから・・・。
明日は満月。
中秋の名月。
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