悟りー父のこと-27

「父の手の力が入らない。コップがもてない、物がつかめない、痰を切る力もだんだんなくなってきた感じ」と、姉からLINEがはいった 9月26日木曜日夜 。
姉と母を少し休ませたいとショートステイの予定を組んでいたが、中止することにしました。といっても、そもそも麻薬の取り扱いができないと、先方から断りの連絡がきたから、今回はなくなったからと父に伝えるとその時は父もうなづいて、でももしかすると父はもう自分はそこまで生きてないと自分で悟っていたのかもしれないと今ならなんとなくわかります。
27日の金曜日はもうすでに末期症状が出ていて死期が近いのかなと訪問看護師に言われて、入院させようかと相談していました。その時は父はまだ意識ははっきりしていて、声そのものは出せないけど、質問に頷いたり首をふったりはできていました。
私は何かを感じたのかな、土曜日は普通に仕事したけどその日の夜はなぜだかわからないけど、
「看病できなくてごめんね」「治してあげられなくてごめんね」とずっと夜は布団の中で泣いていました。
次の日の日曜日夫とともに実家へ行くと、かろうじて身体を起こして座っていたけれども、もう呼吸も弱くなって目も少ししかあいてなくて、そんな姿の父をみたときは、涙がとまらなくて言葉も出ませんでした。
父と部屋で二人きりで、ただただ両手を握って、時おりマッサージしたりさすったり、それでも頬から落ちる涙を父の手に落ちないようにするのが精一杯で、涙顔を見たら心配するだろうから隠すのに必死でした。
本当は昨日の言葉を言いたかったのに、それを言うともう本当に死を認めなくてはいけないみたいで、やっぱり言うことができませんでした。
そしてその日はいつもより早く家に帰ろうと、それはずっといると今日が最後みたいで嫌だったから、「明日また来るね」と父に伝えて早めに帰りました。
父はうんうんと2回頷いて、また明日も会えるんだという希望をもたせるつもりで帰ったのでした。

そして次の日早朝に姉からの電話。父、息をしていないよ、と。

駆けつけた時は、父はすでに息を引き取っていました。
まだ鎖骨と胸あたりはあたたかくて、ほほも少しあたたかみがあったけど、手を握ったら冷たかったから、ベッドの横で私が手を握っていたら父の手があたたかくなるんじゃないかと思って。その時、なんとなく握っていた私の手を父が握り返してくれたような気がして、最後の力を振り絞ってくれたのかなと思うと涙が止まらなくて、やさしかった父の手を離すことができませんでした。

痛かっただろう脱ぎ捨てられた身体の父の顔はとても穏やかでいい顔をしていました。
頑張り切ったからなのかな。
それが家族にとって何よりの安堵でした。薬のコントロールはうまくいってたと思うし、希望していた在宅で、自分の建てた家で自分の部屋で寝ている間に逝けたのだとしたら、本当によかったと思いました。
父は生前はいつも子どもたちのことを考えていたし「子どもたちに迷惑をかけない」と言い続けていただけに、最後まで父らしい「迷惑をかけずに」むこうに逝ったのかなーと思います。これはやっぱり「生き方が死に方」に通ずるのだと思いました。

手術で声帯をなくしてまで生きようとしない選択は、今ではよかったのかわかりません。でも闘病中、お盆前に、父は私に話してくれた言葉があってそれを思い出すと、やっぱり声を残しておいてよかったのだと思うようにしています。

「お父さんはこんなになったけど、娘3人がここまでいろいろしてくれて、診てもらって本当に幸せだよ。ここまで生きられてよかったと思っている」
そんな言葉に「父の悟り」を感じずにはいられませんでした。

父、2019年9月30日咽頭がん(3年4か月)で人生の幕をとじました。享年80歳。



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