不覚にも泣いてしまった-父のこと-4

14日木曜日。誠に勝手ながらお休みをいただいて申し訳ありません。
偶然お立ち寄りいただいたお客様もおられたようで、がっかりさせてしまいました。

2016-06-28 18.47.37

甘いかぼちゃの収穫もまもなくでしょうか・・・。待ち遠しいですね。
また美味しいスープでまたお待ち申し上げております。(*^。^*)

家族に病気が発覚し、その後は病院に行ったりと時間を要しております。ご了承くださいませ。

今日は国立がんセンターへ。カンファレンス後もう一度きてくださいということで、話を聞いてきました。
先生から「どう手術の決心ついた?」みたいなこと、先に言われてしまい陽子線(放射線)がどうとか聞けない感じでしたが、父から「やっぱり手術しかないかね」と。先生は「根治治療を目指すなら手術しかない」とおっしゃっていました。

ただ念のため、「先生重粒子線とかはどうなんですかね?」と質問すると、せせら笑いというかバカにしたような笑いで「あれは全く対象が違うもの、あなたには適用できない」という感じのことを言われました。
私も「でもつんくさんは陽子線やったんですよね?でもその後再発したんですよね?」と。すると彼はうちの患者さんなのでプライバシーに関しては話せません。と。そうなのか。

父は声を失うことに抵抗があったから、あれからいろいろ調べてみました。その中に東京医科大学耳鼻咽喉科学分野主任教授の記事があって、

一部抜粋すると
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呼吸と食事の機能は残り、その代わり声をあきらめるか。もしくは声を残して、嚥下機能や体力の消耗をあきらめるか。癌という病気の性質上、すべてを残すことはできません。これはもはや、その方の人生観にも関わってくるといえます。長期的に考えると、誤嚥なく食べられるという、音声を残す社会正義よりも深いものが待っていることがあります。両者には長所と短所があることを、患者さんに理解して頂くことが大事です。
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こういうことをぱっと人間が理解できるのか分からなかったけど、結局こういうことなんだなと思いました。
私はどうにかして声帯を摘出しても声を出す方法がないかと考えて調べていたのでこの記事の最終章にある「シャント手術」についても、先生に質問してみました。
先生は知識も経験も豊富な方だったので、はっきりとおっしゃってくださいました。「年齢的なものを考えるとおすすめしない」と。
結局、がんセンターの先生は、「根治治療は手術。術後は放射線治療があるかも、それは陽子線ではなく普通のね。抗がん剤は年齢的に無理。術前も術後もしません。声は失います。永久気孔になります。食事は普通にできます。20日から1か月くらい入院です。その後声の発生練習とかシャント手術はしたかったら病院紹介しますよ、けど300万くらいかかります。手術は5週待ちでいつになるか今はわかりません。また8月上旬来てね。」まとめるとこんな感じでしょうか。
あとはどんな手術になるか、入院のことなどは看護師から説明がありますと。

それでは手術で御願いします。と父が決断。手術は5週から6週後。あなただけ先に、と急ぐことはできません。皆さん同じように手術まっていますから。と。腑に落ちない気持ちで、先生の話が終わりました。

それから看護師さんのところで、手術の話。とても親身になって話を聞いてくれるやさしいベテラン看護師。これまでの経緯を聞いてきたとき、父がゆっくりとこれまでの2年間の経緯を話はじめました。ずっと痛みがあったこと、病院には何度もいったこと、アレルギーや精神薬を処方されたこと、髙いはちみつを購入しては試してみたこと、すべてやることやってきたのに「まぁ病院の選択を間違えたかな」と最後に言った言葉で、私は不覚にも号泣してしまいました。

そうだ、やることやってきたんだ。父はただひたすら医者が身体を診てくれる人と、そう信頼して思ってずっと過ごしてきた。
だから先生の言うことは確かだからと頼って信じてきたんだ。
でも、違っていた。先生は先生ではなかった。医者は治す人じゃなかった。そして遅かった。癌は進行していました。見つかったときは遅かった、そのことが私にとってただただ悔しいことだったんです。本当は父の方が一番辛いのに・・・。

泣いてはいけない娘のわたしが、父の前で泣いてしまいました。
泣きたいのは父なのに、泣いてしまいました。
助けてあげたかった。もう少し早く気づいてあげたかった。


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