予防につきる

試練の日々が続いていますね。
毎日、ネガティブなニュースに心も体も疲弊してきました。
何か良い兆しが見えるニュースが少しでもあればよいのに、日々悪くなっていくのを目の当たりにして、正直疲れました。
皆さんもそうではないですか?
私のお店には知識や教養のある先生もたくさん来られることが多いから、まだ私は下降気味の心を軌道修正してもらえるからよいのですが、これが閉じこもっている引きこもり状態の一般の家庭内ではどうなっているのでしょう。時にお子さんは表立って見えないようでかなり心にダメージを受けていることもあります。
すでにもう何人かの方からご相談もうけていますが、かなりストレスが身体の症状となって表れているようです。
敏感な人は実際には何も起こっていないのに、その恐怖だけでちょっとした身体のある症状として出てしまい、またそれを不安に思うことから悪化してしまう。非常にまずいです。そして身体にメッセージとして出る場合はよいのですが、知らず知らずメッセージ気づかずに、気づいたときにはすでに重症に、となってしまうことに危惧しています。

最近思うのは報道の世界は同じようなニュースばかりでなく、毎日違う、新しいネタを探しています。なので、ついこの間まで高齢者や基礎疾患がある高齢者の死亡率が、、といっていたのに、最近は若い20代、30代、ともあれ10代の感染に続いて、0歳児まで感染したニュース、めくるめく日々あふれる情報の渦にただただ恐ろしいという煽りをうえつけて私たちはうもれていきます。

これを何とも思わない人もいれば、一つ一つのニュースに感情が引き込まれ想像や妄想まで広がってついには起こっている事象の中の主人公に自分を置き換えてしまいます。そして自分の身体のちょっとした異変に不安になり、病気を発症してしまう。なぜなら恐怖や不安は免疫を下げてしまうひとつの理由だからです。実際に私もそうでした。

それでこれだけ不安⇒恐怖⇒体の異変⇒不安⇒恐怖⇒悪化を繰り返すと、 いつしかあることに気が付きます。 あれ?でもまだ生きている、生きているんだから大丈夫なんだ、と。
そう、開き直るということも実は大事なのではと気づかされます。(私はかなり時間を要しました。)
そう、そうはいっても、私は生きている、生かされているんだなと気づきます。
そしてこれまで自分を苦しめてきたその恐怖や不安は後から思うのは、「なんの意味ももたない」ということが分かります。恐怖や不安と予防するはイコールではないのです。予防はしっかりやる、でもそこに恐怖は不要なのです。

恐怖に煽られて予防するものではないのです。
しっかり、ただ予防をすればよいのです。
そうウイルスでも癌でも自分を守るのは最後は予防につきるのです。

備えあれば憂いなし。
その為にしっかり知識を学んでいきましょうよ。一緒に。
次回、予防とは具体的に何をしたらよいかを書いていきます!(自分用だよ~)



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