大人数の家族で育ったせいか、たまに一人っきりに
なりたくなるときがあります。
そして、ふらり当てもなくどこか街を歩いたり、
自然の中を散歩したり、喜んでいる人、笑っている人、
怒っている人、寂しそうな人、
いろいろな人を見て考え事をすることもあります。
人はときに勇気を与えてくれたり、元気を与えてくれるものですが
人はときに落ち込ませたり、悲しませたり、
許せなかったりするものですよね。
そういうとき、自分をどこにおいておくといいのかなって
考えることがあります。
どこにおいておくとベストな自分でいられるだろう。
植物とふれる仕事や生活をしていると、人との付き合いが
とても大切なこととわかります。
植物があって、自然があるから、人との出会いが
引き立つのだとも思います。
だけど人との距離をある程度作っておくと、
少しだけ自分が楽だったりします。
その「ある程度の距離感」がとても微妙で、
時間がたつにつれて身近になったり遠かったり
だけど、その感覚が妙に心地よかったりすることもあって、
身近にいても、遠い存在であっても、慌てることもなく、寂しいと
思うこともなく、だいぶ大人になったなぁとふと思ったりして。
ところで、9月のはじめに肺に陰影が見つかって、
いよいよ治療がはじまりました。
当面薬の治療ですが、大事には至りません。
ただ薬も代替療法を勉強したからこそ、
私にとって大切な位置づけになっています。
いつ、どんな時に、どんな目的で使うのかを、
よく質問するようになりました。
薬の効果をどこまで求めているのか、治療とは人によって
改善度が違いますよね。だって、私は元気なんですよ。
だからちょっと薬には抵抗があります。でも、今の薬って
本当に優秀だとも思います。
「生と死」ということをここずっと考えていたのですが、
検査の結果待ちでいるときは、人とあまり深くつきあうのがイヤで、
つかず離れずの距離感が心地よかった。
むしろ人との関係よりも「自分がどう生きるか」ばかり考えてたかな。
人との関係を気遣っている余裕がない、というか、こういうときこそ
自分を内観する時期なのかもしれないですね。人は好きなんですけどね
もしかしたら人が嫌いなのかも、と違う一面も持ってるかなと感じたりして。
病気はいろいろなきっかけを与えてくれますよね。
今の自分に必要なことは何だろうか、
これからの自分はどう生きたらいいのだろうか
そして、親や姉妹、友人との関係はどうあったらいいのだろうか。
人生って本当に面白いなって思います。
あと、なんでこんな人生なんだろなっとも思ったりして。笑。
あっ体はたいしたことではありません。
勘違いされるとイヤなので、一応書いておきます。
もちバリバリ仕事してまーす。(肩は凝ってますけどね~)
20081021 自分の居場所
2 Comments »
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こうしてちゃんと病気と向き合って、
丁寧に自分の体に耳を傾けられるところがすごいなって思います。
当たり前のことなのだろうけど、
私はついつい自分の体の悲鳴にも気づかず、
いやいや、気づかないフリしてやり過ごしちゃう傾向があるので・・・
毎年ひとつずつ歳もとることだし、
もっと自分の体に、敏感でいなくちゃと反省してます。
とにかく、早く良くなりますように!
コメント by クルトンママ — 2008/10/23 @ 7:45 AM
>私はついつい自分の体の悲鳴にも気づかず、
>いやいや、気づかないフリしてやり過ごしちゃう傾向があるので・・・
>とにかく、早く良くなりますように!
コメント by Hanoen — 2008/10/24 @ 12:35 AM