20080503 助けてもらうのは特別な人でなくていい

ときどき思うのですが
よく友人の悩みとか辛い話とか、苦しみとかの話を聞いていると
ヒーリング系、スピリチュアル系、癒し系、霊能者、、、、
いろいろな人が登場します。
「私の知り合いの人から紹介されて、どこどこのカウンセラーに
みてもらったんだ。」とか
「東京の●●で有名な宣伝とかしていないヒーラーさんに・・」とか
うーんとそりゃあ、並べたように偉い人がたくさんでてきます。
人は苦しいとき、すがりたいものを探しますし
悲しいときは、その癒しを求める、
だけど、それはそばにいる友人とか家族であってもいいのだと
思うときがあります。
何もお金をかけて、必ず偉くて特別な人でなくても良いのだと。
この間、電車にのってふとこんなことを考えていました。
昔はヒーラーなんていたんだろうか。
カウセラーって、そこらへんにいたのだろうか。
昔の人は辛いとき、悲しいとき、苦しいとき、
どうしていたのかな?
それってもしかして
すごくシンプルで
そばにいる人と話したり、山に登ったり、泳いだり、草取りしたり
庭で盆栽いじりしたり、部屋で音楽を聴いたり
なにかそばにあるものが
その人の癒しだったりしたのかな、って思いました。
それで
私もそういう人になれたらなーって。
普通の暮らしの中で
人生の最大の苦しみも、人生最大の喜びも
おこっているのだから
普通の暮らしの中で、いつもとかわらない人たちの中で
自然に対処できるようになればなーーって。
思いました。
まさにそれも自然療法・・・・かな。。



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4 Comments »

  1. すごくわかります。

    Comment by 天使のお昼寝 — 2008/05/04 @ 9:29 午前

  2. >すごくわかります。

    Comment by Hanoen — 2008/05/05 @ 1:35 午前

  3. 「語るチカラ」というのをたまに人は求めているのか?と思うことがあります。
    「話し合う」と「語り合う」は違っていて、「語り」の中にはストーリーがあるような感じ。
    「断片」的な感想の山より、物語性の中で、自分を考えたいのかなとか思います。
    断片を繋ぐ力に、霊能とか知識とかを埋め込んでみたいのではないでしょうか?
    よくわからぬ文章に「行間」を詰め込んでもらうと深い「意味のあるもの」に変身するように感じるとか・・・相変わらずの皮肉屋ですいません(笑)
    「語り」は実は誰もが持っている能力なのだと思うけど・・随分薄い「文化」になってきました。

    Comment by フィトライフ — 2008/05/06 @ 5:12 午後

  4. >「語るチカラ」というのをたまに人は求めているのか?と思うことがあります。
    >「断片」的な感想の山より、物語性の中で、自分を考えたいのかなとか思います。
    >断片を繋ぐ力に、霊能とか知識とかを埋め込んでみたいのではないでしょうか?

    Comment by Hanoen — 2008/05/07 @ 12:19 午前

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