20100421 老いと個性

近くの図書館で一気に読んでしまった本です。
bok bok2
最近、こんなのばっか読んでいるんだけど
少子高齢化社会になりつつある今の日本において、
自分自身の生き方って考えていかなきゃいけないよね。全員で。
いつかは自分も高齢者。
まだまだ若いと思っていたら、あと言う間に電車で席をゆずられる歳に、
なんてこと、あるかもしれません。これ老いの受容っていうんだけど
年をとると、老化がはじまり自分自身だけでなく生活のあらゆる面で
年を感じるところが出てくるわけです。
以前はなかったけど、テーブルにひじをついて食べるようになる。
これって、実は行儀が悪いのではなく老化現象のひとつとも言われているそうです。
年寄りが風呂に入ったあとはキタナイなんていうお嫁さんいますけど
年をとれば、皮膚が乾燥してポロポロはがれることもあります。
そして、それは自分にもおこりうるわけです。
外見ばかり若々しくみえていても、老いは確実にやってきて、
それを受容していかなければなりません。
私たちは、身近にいる年寄り(例えば自分の親やお姑さんやお舅さん)を
「高齢者」とひとくくりに見がちだけど、そうすると一緒に共存することが
難しくなります。もちろん、それぞれの生活があって、スタイルも違うから
共存こそが難しいと思います。家族であってもです。
だけど、これからの日本は高齢者であふれ、若者はいま以上に生活習慣が変化し
援助する若者もいなければ援助されることも期待できないでしょう。
そうすると老人は変わっていかねばならないのです。
それでいろいろな本を読んでいたら、こんなことに気付きました。
もしあらゆる面で「もう年だから」と感じることがあったら、
それは「老い」のせいなのか、「自分」のせいなのか、一度立ち止まって
考えることが重要だということ。
つまり、年齢を重ねても美しい人、運動出来る人、行動力のある人
礼儀作法を習う人、絵画を習う人、温泉に行く人、笑顔が美しい人
ネイルが好きな人、陶芸が好きな人、おしゃべりが好きな人、
歌を習って武道館で歌う、話し方や日本語を習う、などなど
そういう自分にいつでもなれることを知っていくことが大切。
これは「老いの受容というより、自己受容なのです」
年をとっても自分は自分。なんでも年のせいにせず、自分の人生を
謳歌していくべきなんだと思いました。
そうすることで、若い人と年寄り、という見方ではなく
あなたと私、という個人間でのコミュニケーションがうまれ
年齢が違っても他人とかかわって生きていくことに深みが出てくるのではないかと
最近そんなことを考えたのでありました。



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